序章
桜の舞散るなか、さくらと知世は、校庭で昼食をとっていた。天気がいい日は、こうして屋外で弁当を広げるのが、ふたりの習慣だった。
「はぁ〜」
知世がため息をつく。
今日の知世は、朝から様子がおかしかった。妙にうっとりと、歓びに浸っている表情を浮かべたかと思えば、今度は、さめざめとため息をつく。その繰り返しだった。
「ねえ、知世ちゃん、どうしたの?」
「ええ、それが・・・」
そう言いさして、さくらの顔をじっと見る知世。そうしているうちに、その瞳が次第に潤んでくる。悲しんでいるのではない。それは歓びの瞳だった。
「ああ・・さくらちゃん」
「ほ、ほえ?」
どうやらスイッチが切り替わったらしい。
「知世ちゃん?」
「あっ」
我にかえって、またため息をつく。
「ほんとに、どうしたの?」
「実は・・・」
知世は、とつとつと訳を話し始めた。
1
とある大学の研究室。
白衣を着て、フラスコを振っている人物がいる。この大学では知らぬ者はいない名物博士である。ちょっと変わり者であるが、学生からの評判は悪くない。
博士は、フラスコの液体を光に透かして様子をうかがい、べつの容器から取り出した白い粉末を混ぜた。
「よっしゃ」
博士は満足そうに頷くと、フラスコの中の褐色の液体を一気に飲み干した。
「んまい! コーヒーはこれで飲むに限るわ」
二杯目の調合にかかろうとした時、勢いよく扉が開いて、助手のひとりが飛び込んできた。
「家呂部博士、大変です!」
「なんや、騒々しいなぁ」
「か、か、か」
「そない慌てんと、落ち着いて言うてみぃ。世の中、驚くことなんぞないで。全て、科学的に説明がつくんや」
「か、怪獣が現れました!」
「な、なんやて〜〜〜!!」
前言を、自らの行動であっさり否定してしまう博士。
2
首都東京に突如として現れた怪獣。その生態は一切謎である。
とりあえず、政府はお約束に従い、緊急対策本部を設置した。その主任としてケロベ博士に白羽の矢がたった。
「あれが・・・怪獣・・?」
毒気を抜かれたように、あっけにとられた顔で、それを見上げる博士。
「かわいいですわぁ」
その声に振り向くと、ひとりの少女が熱心にビデオをまわしている。
「君は?」
「私、大道寺知世と申します」
「そのビデオ、ずっと撮ってたんか?」
「またとないビデオチャンスですもの」
「ほな、キミ、わいに協力してくれへん?」
「え?」
「申し遅れた。わいは家呂部。一応、科学者や」
「ケロベ博士?」
「そうや。怪獣対策本部の主任なんや。で、あの怪獣についての資料が不足しとる。そこで、キミの撮った貴重な映像が必要なんや」
「そういうことでしたら、喜んで」
「ところでケロベ博士」
「なんや?」
「あの怪獣さん、もう名前はあるのでしょうか?」
「いや、特にないなぁ」
「それでは、まず、名前をつけなければ」
「必要あるんか?」
「もちろんですわ!」
「そ、そうか? で、何か、ええ案あるんか?」
「んー、『サクラノドン』というのはどうでしょう」
「サクラノドン?」
「ええ、かわいくてピッタリですわぁ」
「サクラノドンねぇ・・・。よっしゃ、じゃあ、サクラノドン2000や」
「2000?」
「2000と書いて、ミレニアムと読む。カッコええやろ?」
こうして、対策本部の陣容は決定された。
3
サクラノドン2000。そう命名された「それ」は怪獣というより、巨大な女の子といったほうが正しいかもしれない。が、その大きさが尋常でない。身長は約57メートル。体重は550トンと推定された。
当初、人間が何らかの原因で巨大化したものとも考えられ、人語による呼びかけが試みられた。
日本語をはじめ、英語、中国語、フランス、イタリア、韓国、果てはスワヒリ語に至るまで、地球上のあらゆる言語が試されたが、これといった成果は挙がらなかった。
「おい、怪獣」
臨時のアルバイトとして雇われていた調査員が、しびれをきらしてそう言うと、今まで無反応だったサクラノドンが急に怒ったような顔を見せた。
むっくりと立ち上がると、瞬く間に調査員を踏み潰してしまった。
奇跡的にも彼は命をとりとめたが、全身打撲で現在は入院中である。その哀れなバイト調査員が「木之本桃矢」という名前であることは、あまり知られていない。
だが、彼の貴重な犠牲により、サクラノドンの意外な習性が明らかになった。
以後「怪獣」という言葉が禁句になったことは言うまでもない。
4
ここは、怪獣対策本部改め、サクラノドン対策本部。
看板の「怪獣」の文字に斜線が引かれ、その横に「サクラノドン」と手書きで書かれているのが情けない。
「キミの提案がさっそく役に立ったな」
傍らの知世にそう言ったあと、助手に向き直った。
「それで、現在の被害状況は?」
「バイト調査員が負傷したほかは、これといった被害はありません」
「なにも?」
ちょっと拍子抜けだった。
「新幹線、ワシ掴みにしたりせえへんの?」
「怪獣・・もとい、サクラノドンを警戒して、周辺の交通機関は全面的に運休していますが、直接的被害は報告されていません」
「ほな、東京タワーは? よじ登ったり、ヘシ折ったりせんの?」
「東京タワーは超満員だそうです。サクラノドンの見物人で」
「稼ぎ時ちゅうわけか・・・。緊張感のない奴等やなあ」
あまり人のことは言えないはずであるが、自分のことは都合よく棚に上げていた。
「それで、いまサクラノドンは何しとる?」
「地面に落書きしています」
「落書きぃ?」
その時、通信士が別の情報をもたらした。
「大変です! 政府が自衛隊に攻撃命令を出しました!」
「アホな! なんて早まったことを」
「すでに、自衛隊の戦闘機がスクランブルしたと連絡がありました」
5
サクラノドンは、相も変わらず遊んでいた。地面に座り込み、なにやら落書きしている。
そこへ編隊を組んだ自衛隊機が飛来し、サクラノドンの周囲を遠巻きに飛行する。興味を引いたのか、サクラノドンは立ち上がって、戦闘機を目で追っている。
戦闘機の編隊は、サクラノドンの背後にまわり込み、隊形を整えてからミサイルを発射した。
ミサイルは彗星のように白い尾を引きながら、サクラノドンめがけて一直線に飛ぶ。
命中!
背中に直撃をうけたサクラノドンは、まるで何事もなかったかのように平然としていた。誰もが、サクラノドンの猛反撃が来ると肝を冷やした。
だが、その三秒後・・・。
「ふ、ふえ〜〜ん」
しゃがみ込んで、泣き出してしまうサクラノドン。
その直後、首相官邸、防衛庁など主な政府機関に抗議が殺到した。
「貴様ら、それでも人間かっ!」
「なんで、あんなことすんだ」
「かわいそうですわ」
市民の意外な反応に、政府はてんやわんやの大騒ぎとなる。
「首相、支持率が急激に低下しています! このままでは・・・」
だだでさえ高いとは言えない支持率である。これ以上、低くなられてはたまらない。
「くそ〜、なんて凶悪なやつだ」
この事態を受けて、政府は自衛隊による攻撃を中止。事態収拾の全権を対策本部に委ねることにした。
6
「ふ、馬鹿な奴らめ。初めからウチらに任せておけば良かったものを」
「博士、僕にも何か手伝えることはありませんか?」
「おう、ユキウサギか」
「ユキトですよ」
彼の名前は月城雪兎。博士の教え子だった。
「また、肉まんかいな。ほんま、好きやなぁ」
「ねえ、博士」
「なんや」
「秘密兵器とかはないんですか?」
「秘密兵器ぃ?」
「科学者なら『こんなこともあろうかと』とか言いながら、何か持ち出すものでしょう?」
「あのなぁ」
「汎用人型決戦兵器、とか」
「ちなみに、だれが乗るんや?」
「僕」
「は? なんで、そうなるんや」
「やだなぁ、お約束ですよ。『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ』って」
「な、なんの話や」
「壱号機は僕だから、弐号機は君が乗る?」
「ホホホ、私は結構ですわ」
7
あるビルの地下の一室。ドアの看板には「地球防衛隊 はにゃっと」と記されている。
ハニャット。それは誰にも知られることなく、日夜、地球の平和を守り続けている秘密の組織である・・・と、彼らは主張している。
もちろん、公的機関ではない。
ちなみにハニャットとは、Hyper Attack NewYork Active Teamの略称であるらしい。どの辺がニューヨークなのか、かなり疑問だが、もしかすると本部がアメリカにある・・・のかもしれない。
現在の構成員は5名。各自、それぞれに副業をもっている。世を忍ぶ仮の姿、と、彼らは主張しているが、要するにお金がないのだった。
「いよいよ、我々の出番だ。苦節3年、とうとう、待ちに待った怪獣が現れた」
この、涙を流さんばかりに、拳を握り締めているのが隊長のモリサワである。
「それではミズキ隊員、状況を説明してくれ」
「ミズキ隊員は、残業で遅れるそうです」
そう応えたのは、ハニャットの紅一点。ユウ隊員である。
「なにぃ〜」
「なんでも、決算がどうとかで・・・」
「あ、あいつ・・。どちらが本業か分かっとらんようだな」
ブツブツと独り言のように「今度こそ、腹を切らす」と漏らしたが、その声は他の隊員は聞こえなかった。
「おっほん。 ところでユウ隊員、あのドアの看板はなんだ?」
「なんのことでしょう?」
「あれほど、ひらがなで『はにゃっと』と書くなと言ったろう?」
「そのほうが可愛いですよ」
「頼むから『はにゃっと』はやめてくれ」
「可愛いのにぃ」
「これは隊長命令」
「ところで隊長、これからどうします?」
アルキチ隊員が問う。
「そりゃ、出動する」
「それで、そのあとは?」
「うーむ・・・、成り行きにまかす」
無責任隊長モリサワだった。
「ミズキ隊員はいいんですか?」
「ほっとけ」
「もしかして、アレじゃないですか?」
「何の話だ?」
「ホラ、怪獣が出て、いつも肝心なときにいない隊員といえば・・」
「もしかして・・シュワッチと変身するアレのことか? 3分間限定の」
「そうそう」
「却下」
「は?」
「そんなオイシイ役、隊長を差し置いて、奴ひとりにやらせるワケにはいかん。
よし、こうしちゃおれん。ハニャット、全員出動だ!」
「ラジャー」
いつのまにか、問題がすり替わっていた。
「カタパルト、準備OKです」
「よし、メインエンジン点火」
「メインエンジン点火」
操縦手が復唱する。
「進路クリアです」
「ハニャットホーク一号、発進せよ」
「発進」
のろのろと車が動き出す。ごく普通のワンボックスカーである。
「隊長」
「ん、なんだ?」
「ただのクルマ動かすのに、なんか、ずいぶん大げさですね」
「だからこそ気分だけでも、と思っているのではないかっ」
「もっと、ヘリとか飛行機とかはないんですか」
「誰も免許持ってないだろう?」
「じゃあ、免許があればいいんですか?」
「アルキチ隊員」
「なんです?」
「世の中には、言ってはならんことがあるのだよ」
8
うーん、収拾がつかねぇ・・・(作者森沢 談)
9
サクラノドン対策本部の一室。
「博士、そろそろ時間です」
見知らぬ青年が、博士に声をかけた。
「時間? なんの時間や?」
「いわゆる『オトナの事情』というやつでして・・・。あくまで同時上映ですので、時間制限がキビシーのですよ。それに、あまり派手にやられると、本編が食われてしまう危険もあるので・・・そうなると、いろいろとマズイのです」
「なんのこっちゃ? まあ、よう分からんが、とにかくこの事態を早く収拾しろ、と、そう言いたいんやな?」
「さすがは博士、御明察です」
「ところで、キミはいったい何者や?」
「あ〜る。 そう、人は私を『あ〜る』と呼びます」
そう言い残して、謎の青年は部屋から出ていった。
10
その翌日、ユキトがやってきた。
「やあ、博士。なにか進展ありました?」
「おう、いいとろに来たな」
「もしかして、何か新兵器でも?」
「いよいよ、クライマックスや。昨日、徹夜で仕上げた・・」
「汎用人型決戦兵器ですか?」
「くどいな、キミも」
「えっ、違うんですか」
「んなもんが、一晩でできるワケないやろ」
「それじゃ、何ができたんです?」
「うむ、これや」
そう言うと、足元のアルミケースを机に置いた。
ふたを開けると、厳重な緩衝材に包まれた、カプセルともミサイルともつかないようなものが、ひとつだけ入っていた。
「なんですか、コレ」
「これを食らうとな、小さくなるんや。どんなもんでも、ミニミニサイズになるはずや。でも、まだ試作段階でな」
「だから、これ一発しかない、と?」
「そうや、よく分かったな」
「そりゃもう、お約束ですから。これで、サクラノドンを小さくするワケですね」
「そういうこっちゃ。水爆使うとか、火山に落とすとか、いろいろ考えたんやけどな。なんか、かわいそうやろ」
「博士・・・。 よく都合良く一晩で出来ましたね」
「あほっ、ここは、しんみりする場面やろがっ! こっちにも都合があんねん」
11
その頃、ハニャットの面々は、何をしていたかというと・・・。
「おおっ、これがサクラノドンかぁ」
「かわいい怪獣ですねぇ」
「みんなで、記念写真撮りましょうよ」
と、いう具合に、まったく役に立っていなかった。
服装だけは、科特隊も顔負けで、まるでコミケ帰りの怪しい連中にのようにも見える。
「あーっ、ウルトラ警備隊だぁ」
通りすがりの子供が、指を差して喜ぶ。
「我々は、ウルトラ警備隊ではない。地球防衛隊『ハニャット』だ。少年よ、よく覚えておきたまえ」
いちいち訂正するあたり、隊長もかなり大人げない。
「見ちゃいけません」
母親らしき女性が、子供の手を引いて、そそくさと立ち去る。
そんな光景を、少し離れた場所から眺めている人物がいた。
「なんや? あのイカれた連中は」
「さあ、なんでしょう。でも、世の中広いですから」
博士、ユキト、それに知世もいる。
彼らは、新兵器を持って現場にやってきたのだ。
「まあ、あの連中は無視して、さっさと始めよか」
おもむろに、アルミケースからカプセルを取り出し、特製の銃に装填する。
「ほれ」
それをユキトに手渡す。
「えっ? ボクが撃つんですか?」
「そうや」
「博士はいいんですか?」
「こういうもんは、開発者自身は撃たんもんやで」
「博士、だんだん分かってきましたね」
「ええから、はよ撃て」
緊張感がないこと、はなはだしい。
「どこを狙えばいいんですか」
「当たれば、どこでもかまわんで」
それを聞いたユキトは、銃を構えた。
「ええか、一発しかないから、よう狙って撃てや」
「あんなに大きいんですから、外すほうが難しいですよ」
「ええやんか。いっぺん、言ってみたかったんや」
「じゃ、撃ちます」
バシュッ!!
弾は、サクラノドンの背中に命中した。
ほどなく、変化が現れた。
サクラノドンは、みるみる小さくなっていく。最後には、人間と同じサイズにまで小さくなった。
「まさか、死んでませんよね?」
「気絶しとるだけや。ちょっと様子を見てきてみ」
博士の言葉に従い、ゆっくりと近づいていくユキト。
いまや人間と同じ大きさになったサクラノドンを抱き起こす。
「大丈夫?」
その声に反応したのか、ゆっくりとまぶたが開く。
「・・・だれ?」
「キミ、言葉が分かるの? 僕はユキト」
「ユ・・キ・・ト・・」
そう呟くと、また目を閉じてしまった。
「どうやら、眠ってしまったらしいな」
背後から博士が言う。
「これから、どうしましよう」
今後の、彼女の処遇についてユキトが質した。
「私が引き取りましょう。自分の娘として」
一同が振り向くと、眼鏡をかけた男が立っていた。
「キミは木之本くん!」
名を木之本藤隆といい、博士と同じ大学で考古学の講師をしている。
「でも、キミには息子がいなかったかね?」
「大丈夫、きっとうまくやっていけますよ」
藤隆は、眠っている女の子を優しげに見つめて、小声で呟いた。
「そうですよね、さくらさん」
終章
「・・・と、いう夢を見たんです」
全てを話し終えて、知世は、またため息をついた。
「ほえ・・・」
半ば、あきれたように放心してしまうさくら。
だが、さくらには合点がいかない。その夢と、知世のため息がどう関係するというのだろうか? さくらは、そのあたりを訊ねてみた。
「朝、起きたら、なかったんです・・・」
「なにが?」
「ビデオが・・」
「ほえ?」
「あんなにたくさん撮ったビデオがなかったんですの」
「でも、それは夢の中のお話だから・・」
「分かっているつもりなんですが、あきらめきれなくて・・。だって、あんなにかわいかったんですもの」
また、うっとりする知世。
そういうことだったのか、と、ようやく納得するさくら。
「さくらちゃん・・・」
「なに?」
「お願いがあるんですの」
「うん、私にできることなら」
「さくらちゃんにしかできないことですわ」
「どんなこと?」
「もう一度、撮らせてくださいませんか?」
「そ、それって、まさか・・」
無言で頷く知世。
「まずはクロウカードで大きくなって頂いて、それから・・」
そう言いながら、どこに隠し持っていたのか、ビデオを取り出す知世。
彼女の頭の中には、一大プロジェクトがあった。
巨大なセットを作り、映画「サクラノドン2000」を撮る。大道寺コーポレーションの全面的なバックアップが得られれば不可能ではない。社長である園美を説得する自信もある。映画とタイアップして、サクラノドングッズを独占販売するのだ。当然、仕上がった映画は世界中に配給する。あとは主演女優の出演承諾だけだ。
「ほ、ほえ〜〜」
逃げ出すさくら。
「待ってくださ〜い」
= エピローグ =
その後、映画「サクラノドン2000」の制作は順調に進んだ。
そして、とうとう試写会の日を迎える。
上映されたフィルムを観たあとで、さくらが知世に訊ねた。
「ねえねえ、知世ちゃん。ひとつ訊いていい?」
「なんでしょう」
「映画の中に、あの『はにゃっと』の人たちが出てこなかったけど・・?」
「ホホホ。いわゆるオトナの事情でカットされましたの」
「結局、なんだったのかなぁ、あの人たち・・」
「あまり、細かいことは気になさってはいけませんわ」
このようにして「サクラノドン2000」は制作された。その後、大道寺系でのロードショーが大当たりしたことは、我々も知るところである。
だが、『地球防衛隊 はにゃっと』の活躍を知るものはいない。
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