●「この夜を迎える、すべての人達に」●
「ありがとうございました〜」
店を出る客の背中に満面の笑みを向け、真樹はお辞儀をした。
時計を見ると午後八時半。明確な閉店時間を決めてないこの店だが、大体このくらいが、
「そろそろ、閉めようかしら」
そういう時間だ。
入り口に白いレースのカーテンを引き、『Close』と書かれた木製の看板を掛ける。
店内の照明を落として、真樹は小さく息を吐いた。
暗くなった店内はどことなく寂しい。
ぬいぐるみ達も明日のために眠りにつく。耳が痛くなるような静寂。
こんな静けさは嫌いではない。もともとおっとりしている彼女のこと、賑やかなのよりは静かな方が落ち着く。
でも、閉店後の静けさの中で感じるのは、そういうのではない。
それは『人恋しさ』
ふと一人になったときに感じる、数年前に空いた心の穴。
忘れなければ、と思うほどに鮮明に思い出される『暖かい日々の記憶』
「……さ、残っている仕事、してしまわないとね」
そんな寂しさを押し退けるように、彼女はエプロンの紐を結び直した。
紅茶の香りがキッチンに広がる。
エプロンを外して、紺色のワンピース姿になった真樹は、肩にかかった黒髪を上品に払う。
「ん、今日もお疲れさま」
そう自分に言って、ティーカップをダイニングテーブルに置く。
自分もイスに腰掛け、紅茶を一口。
「ふぅ〜」
細い目をさらに細くして、周りを包む紅茶の香りに身を委ねている。
今日一日の疲れ。心地よい疲労感が柔らかく滲んでいく。
「……あ、そうだ」
パッと目を開き、テーブルの上に置いている小さいテレビに手を伸ばした。日頃からあまりテレビなんか見ない彼女が買った、おもちゃみたいなそれのスイッチを入れる。
液晶の画面に映るのは、どこかの都市の大きなクリスマスツリー。
そう、今夜は、『クリスマス・イヴ』
何回かチャンネルを変えてみるが、どこも同じような番組ばかりだ。
そして映っているのは、幸せそうな恋人達。
−−−カチ
真樹はテレビを消した。
いつからだったろうか。クリスマスを祝わなくなったのは。
ファンシーショップという関係上、飾り付けや音楽で雰囲気を出したりはする。だがそれは、あくまで「仕事で」だ。
個人でツリーを飾ったのは、いつが最後だったろうか。
笑い合いながら飾り付けをしたのは、そんなに昔だったろうか。
いつの間にか、真樹はテーブルにひじを突いて両手で顔を覆っていた。
「……、…………さん…」
無意識に、優しかったあの人の名を呼んでいた。
いつも微笑みかけてくれた人。自分のデザインしたぬいぐるみを真樹の店で売りたい、そう言ってくれた人。
未来を、誓い合った、大好きな人。
ぽたっ。
涙が一粒、テーブルを濡らした。その時だった。
ドンドン、と店の戸を叩く音が響いた。
「…! な、なに?」
びっくりしながらイスから立つ。
こんな時間に客だろうか。そう思って時計を確かめるが、ファンシーショップに用のある子供が来るような時間ではない。
真樹は簡単に顔を拭って、店の方に移動する。それまでにも何回も戸が叩かれている。ひょっとしたら、町内で何か緊急の事態が起きたのかもしれない。
少し緊張した面持ちで、店のドアのカーテンを開ける。その向こうにいるのは、
「さ、さくらちゃん?!」
真樹は慌ててドアを開けた。
「どうしたの、さくらちゃん? こんな時間に、何かあったの?」
心配そうに聞く真樹に、さくらは首を振って答える。見ると、彼女はサンタクロースの格好をしている。
暖かそうな赤と白のコートが可愛い。
「あ…、もしかして、その格好…」
さくらはニコッと笑って、
「メリークリスマス! 真樹さんっ!」
パ〜ン、とクラッカーを鳴らした。
「あらあら、可愛いサンタさんね。プレゼントの配達中?」
口元に手を当て、冗談ぽく言ってみる。
「はい、そうなんです。真樹さんに、クリスマスプレゼント!」
「え? 本当に?」
冗談で言ったのに当たっていた。
さくらはゴソゴソと脇に置いていた白い袋の中を探る。
視線を移すと、少し離れたところで知世がビデオをかまえているのが見えた。
(ふふ、この子達は、いつも変わらないわね)
微笑ましくて、思わず笑顔になる。そこに、小さな箱が差し出された。
「はい、真樹さん」
小さなサンタからのプレゼントだ。真樹は大切に受け取る。
「中身は何かな? 聞いても良い?」
「あ、実は、ちょっとケーキを作りすぎちゃって、おすそわけしてまわってるんです」
彼女は恥ずかしそうにそう言う。真樹はそのサンタの頭を優しく撫でてお礼を言う。
「ありがとう。遠慮なく頂くわね」
「はい!」
頬を染めてさくらは返事をした。
聞くと、まだ配達の途中らしい。真樹は二人に手を振ると、店の中に入った。そこで、思い出したように振り向く。
「さくらちゃん、少しだけ、温かいものを……あら?」
再びドアを開けたとき、そこに少女の姿はなかった。
「…素早い…わね」
見回してみても影すら見えなかった。だが微かに、
シャンシャン……
鈴の音が聞こえている。
澄んだ星空からだ。
「……まさか…ねぇ」
白い息を吐きながら、星を見上げて苦笑する。
可愛いサンタからの小さなプレゼント。思いがけず幻想的な夜になってしまった。
真樹はもう一度、柔らかく微笑んで言った。
「ありがとう…、サンタさん…」
キッチンに戻った彼女は、ケーキの箱をテーブルに置き、自室へと向かった。そして帰ってきたとき、彼女の手には木製の箱が持たれていた。
丁寧な彫刻の彫られた、宝石箱のようだ。
それをテーブルに置いて、先程のケーキを皿に移す。
そして、宝石箱に手をかける。
「…ふぅ」
一度、深呼吸。そして開けられた木箱の中には、沢山の可愛らしいアクセサリーと、
「ここから出るのは、久しぶりよね」
ひとつの写真立て。
両手で包むように持って、自分の前に置く。一緒に持ってきていた小さなキャンドルをその間に立てる。
「何年ぶりなのかな。こうやって向かい合って、クリスマスを祝うのって」
口元で微笑みながら、キャンドルに火を灯す。そして、照明を切った。
オレンジ色の明かりが部屋を包む。ゆらゆらと揺れるキャンドルの炎。
その向こうで、昔と変わらず笑っている優しい人。
何年も、こんな事はしなかった。寂しさが深くなるだけだと思っていたからだ。
だが、今日はそんな気はしない。
不思議なサンタからのプレゼントが優しさをくれたのか、真樹の心は暖かかった。
彼女はそっと写真を撫でる。
忘れようとしていたのが間違いに思えるくらい、楽しかった日々が思い出される。
眩しく輝いていた日々。そして、これからも輝き続ける日々。
真樹は胸の前で手を組み、祈りを捧げる。
こんな優しい気持ちにさせてくれた小さなサンタに。
素晴らしい思い出をくれた愛おしいあの人に。
そして、この夜を迎えるすべての人達に、
小さくとも、暖かい幸せの訪れんことを。
『メリー・クリスマス』
〜〜〜おしまい〜〜〜(斧桜/2000/12)
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