夕暮れ時をひかえて、友枝商店街は買い物客で賑わっていた。その通りに面した一角に食料品と雑貨を売る店がある。食料品とはいっても肉や野菜などはなく、菓子やその材料、珈琲や紅茶などの趣向品を主に扱っている。
その店内で、さくらは棚の商品を眺めていた。手に持った買物カゴの中には、まだ何も入ってない。
そこへ後ろから声をかける者がいた。
「こんにちは」
振り向くと、店の紙袋を抱えた男が立っていた。
「あ、雪兎さん」
「買い物? なに探してるの」
少しかがみぎみに目線を落としながら、雪兎が訊ねる。
「ホットケーキ。たまにおこづかいで買いに来るんです」
「そう」
頷いて、その視線をさくらから棚に並んだ商品に移した。
さくらも棚のほうに向き直る。
「どれもおいしそうで迷っちゃうんです」
棚にはいろんな種類のホットケーキの箱が並んでいた。どれも鮮やかなパッケージで、自分こそが一番と自己主張している。
からっぽの買い物カゴを左手にさげ、右手で箱を手に取り、少しの間それを眺め、また棚に戻す。そして隣の箱を取ってはまた戻す。
雪兎は、そんなさくらの後ろ姿を微笑ましく思いながら見守っていた。だが、ホットケーキを買ってあげる、とは決して言わなかった。言えば何かを壊してしまうような気がしていた。
限られたおこづかいで、好きなホットケーキを買いに来るさくら。限られたおこづかいだからこそ、ホットケーキひとつでもあれこれ悩む。からっぽのカゴをさげ、どれにしようか迷うさくら。そんなさくらを大切にしたかったのかもしれない。
さくらは背伸びしながら一番上の棚に手を伸ばしていた。が、届かない。
後ろから伸びた手がホットケーキの箱を取った。
「はい。これでいいの?」
「ありがとうございます」
礼を言いながら、それを受け取る。
「どういたしまして」
さくらは少しの間、箱を眺めていたが顔を上げて「これにします」と言った。
「雪兎さんもお買物ですか?」
「うん。もう済ませたけどね」
言いながら、抱えた紙袋を指差す。
「じゃ、私も買ってきますね」
小走りにレジに向かう。
ホットケーキの箱がひとつだけ入った買物カゴをレジの台に載せる。ポケットから小さな財布を出し、小銭を数えながらピッタリの金額を払う。
レジで受け取った紙袋を胸元に抱えた。
「もう、これで買物は終り?」
「はい」
「じゃあ、途中まで一緒に帰ろうか」
ふたりは夕暮れの小路を歩いていた。並木道の中ほどに差しかかったあたりで雪兎が足を止めた。
「僕はこっちだから、ここでお別れだね。 あ、そうだ・・・」
ガサガサと紙袋の中に手を入れる。
「はい、これ」
そう言って差し出したのは一箱の紅茶だった。
「ホットケーキによく合うと思うよ」
「え? いいんですか?」
「遠慮しないで。たくさん買ったから」
雪兎が袋の中身を見せると、そこには紅茶の箱がぎっしり詰まっていた。
「雪兎さん、紅茶、好きなんですか?」
「いつもは日本茶なんだけど、最近、ちょっと凝ってるんだ。まだ、あんまり上手に掩れられないけどね」
気恥ずかしそうに、頭の後ろに手をやる。
「さくらちゃんは?」
「私も好きです」
「そう。良かった」
雪兎はやさしげに微笑んだ。
その日のさくらのおやつは、焼きたてのホットケーキと良い香りの一杯の紅茶だった。
〜 ちいさな後ろ姿 〜
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